自分の人生を生きるこの、誰ひとりとして代わってくれはしない自分の人生というものをしっかりと生きること、それと向き合い、目をそらすことなく、どこまでも誠実にそれを生きるということ、それ以外に行うに値することなどあるのだろうかと思う。
DAIKIはそれを教えてくれる。 黒人やユダヤ人などの人種差別、部落差別…こどものころ、なぜひとがなぜそういうことをするのかわからなかったし、何より自分もいつかそういうことをしてしまうのだろうかととても恐ろしかった。 それはたとえば、封建制の時代や戦争のような「特殊」な状況があって、ひとが正常な判断をできない環境に投げ込まれてしまうがゆえに起こることなのだろうかと考えた。そういう時代にないことに安堵しながら、もしそういう状況になったら、自分も恐ろしいことに加担するのだろうかと思った。 大人になって、わかりやすい差別ばかりではなく、国籍などの出自やさまざまなな障害、性別、経済状況、学歴、その他違うことを理由とした、差別されている人自身すら気づいていない多くの不当な扱いで世界は満ち満ちていて、というよりもそもそもこの差別や非対称な権力構造こそが「世界」なのかもしれないと思うようになった。それは別に悲観しているわけではなく、そもそも権力は差別する人とされる人といった単純で一方的な配置にもなっていないし、この「世界」で生きるということ、つまり人生というのは、そういうことと不断に向き合っていくこと、あるいは向き合わないことの積み重ねの総体のことなのだろうと思うようになった。 不当な扱いをあちこちで感じるようになったのは、勤めていた会社をやめて、自分なりの生きていき方をしてみようと思ってからだった。そのころはまだ「世界」が、男性はお勤めをして、結婚して、こどもをひとりふたり養って、という暮らしを「標準」にしていたから、そうでない生き方は何かと不都合が多かった。私は特に「アート」という名のもとに、自分でもよくわからないことをしたいと思っていたから、何かと釈然としないことが多かった。 それはひとつには、自分自身でも「許されない」何かをしているんじゃないか、本当は「真っ当な生き方」をするべきところを自分だけ免れておかしなことをしているんじゃないかとどこかで思っていたことも大きかったと思う。だからほかにもたくさんそういう人がいることを知り、そういう人たちに出会えたときはとてもほっとした。 震災があって、それまでやってきたことと同じことをしているだけなのに、「コミュニティ再生」や「絆」という名のもと、やりたいことがどんどんできるようになり、生活もできるようになって、いったいこれはどういうことなんだろうと思った。 そんな中、アート・インクルージョンで福祉サービス事業所を立ち上げるということで、地元でがっつり組んでやっていくことになった「障害者」のみなさんは、私には自分と同じ人に思えた。それは、本人にとってそれ以外の選択肢などないというのに「なぜそういうことをしているのか」的なことと常に向き合わなければならない立場に置かれているという意味でだ。そういう、「疑問」という名の、実際には圧力が、なくなっていくにはどうしたらいいのだろうと思いながらやってきた。 DAIKIはそんな私など軽く飛び越えて、鮮やかに私たちにいろいろな世界を見せてくれる。それはこの、誰ひとりとして代わってくれはしない自分の人生というものをしっかりと生きること、それと向き合い、目をそらすことなく、どこまでも誠実にそれを生きるということ、そのことで誰かにあれこれ言われない世界、むしろそれこそが生きるに値する人生だと誰もが了解している世界のことで、まさにそれこそが世界の名に値する。 DAIKIに私たちは日々、試されている。そんなのがインクルーシブ社会とか共生社会なのかと。そしてもちろんDAIKIは我々を試してなどいない。 そのメッセージを受け取るかどうか、どうこたえるか。受け取らないという選択もあっただろう、これまでなら。しかし震災で「世界」が変わったように、今、着実に「世界」は変わりつつある。数年前までは平気でたれ流れていた差別的な言葉や普通に放置されていた不当なしくみ、モノが、もうそのままではいられない。過去の責任をとらされるという当然のことがやっと当然のことになり始め、当人のみならず、それを放置した人、見逃した姿勢も問われるのが当然となりつつある。 それはまるで世界がDAIKIの跳躍を追いかけるようにして変わりつつあるかのようだ。見える人にしか見えなかった世界は、見えないことへの責任を問う方向へと転じ始めている。実際、それこそが「障害」だったのだ。 これまで繰り返されて来た「これまでの価値観を変えるアート」「障害があるからこそ見えるものがある」という空虚なスローガンは、世界が変わることで真にその意味をまとい始めている。 そしてむろんDAIKIは、そんなことはおかまいなしに、何ひとつかわることなく、自分の人生を今日も生きつづけている。 (本展キュレーター:門脇篤) |
主催:一般社団法人アート・インクルージョン
助成:公益財団法人仙台市市民文化事業団「多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業」
(c)2021 Art Inclusion all right reserved
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